アイキャッチ画像、まだ懲りずに挑戦してます。ようやくモリリンからは離れてくれたのですが、なんかこれは、「秋田の支持者宅で蹶起を促す板垣ィ…」なんだよなあ…なんで対抗馬の方を描いてしまうんだ、どうしてやじを描いてくれないんだ…!)☚こんな感じで室長は、見たまんまに勝手に絵画のタイトルをつける遊びが大好きです(画像のお題で大喜利みたいな)。美術館とかでは必ずやってます。『女子高生の無駄づかい』を読むと、同じ遊びに興じていた人もいたのかと驚きました。楽しいですよ。
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さて、2025年2月1日に、室長の古巣でもある京都大学人文科学研究所(以下、人文研)で開催された「京都歴史学工房」の第3回例会にて、『笑いで歴史学を変える方法』及びいお倉の挑戦について議論する場を設けていただきました。
「京都歴史学工房」とは、京都大学大学院文学研究科の金澤周作先生、同大学人文研の藤原辰史先生、伊藤順二先生、同大学人間・環境学研究科の福元健之先生が中心となって開催している、地域や時代の枠を超えた歴史学の研究会です。
以前室長が人文研にいた時代にもお誘いを受けて、一度だけ参加したのですが、なんだかその当時は室長が今よりずっと不勉強で、また余裕もなさすぎてそれ以降参加しないまま経過していました。それでも研究会の案内だけはずっと届いていて、コロナ禍に中断したらしいことだけは把握していました。
中断を挟んで、装いを新たに「復活」したとのお知らせをいただいたのは一昨年のことで、当時いお倉を起ち上げたところであった室長は、歴史学を取り巻く諸問題についていろんな人と話し合いたいと思っていたので迷わず参加しました。
研究会は、先述の通り地域や時代を超えて参加可能なものなのですが、なぜか日本史学からの参加者はいつも室長一人で、そういえば中断前に参加したときもこんな感じだったよなあと思い出しました。日本史研究者は、外国史というだけでアレルギーを感じてしまう方が多く、また一方で内需だけでも十分やっていけてしまうので、他分野の研究者と交流する動機がほとんどないのだと思います。
これに対し、外国史の研究者は、そもそもが担い手自体が少なく、またカバーする範囲も広すぎて、近場の人間だけでは十分な議論ができないという事情があります。更には若手研究者が交流するための、日本史学でいうところの学会の「部会」のようなものもほとんどないのだそうで、こういった手弁当の研究会は得難い機会なのだと思います。歴史学界で何か新しいことをやろう、ブレイクスルーをしていこうというとき、たいてい外国史(それも西洋史)の研究者が中心になってこられたように感じられるのですが、それにはこのような背景の違いがあるのではないかと思われます。
…別に悪かないのですが、日本史研究者が「視野が狭い」とか「内向き」と言われてしまうのはこういうところに理由があるのであって、出来る範囲からでいいので少しでも食わず嫌いをせずに違う世界をのぞいてみると案外面白いこともあるよと伝えたいのですが、まあそれはそれ。いろんなところをのぞいてみた人たちが、その面白さをうまく日本史学界内部の人たちに伝えられなかったからでもあるのだろうなという気がいたします。
さて、2月1日の研究会での話に戻りますが、当日は大学教員から高校教員の方、大学院生さんや学生さんまで、幅広い年代の幅広い所属の方が参加されていました。そして皆さん『笑い』を読んでくださっていて、前提の認識で議論が終わるといったことはなく、いきなりいお倉が目指した「笑い」について、本質的で深い議論ができました。以下では、その時の議論を振り返り、主な論点について当日の室長の返答をここの訪問者向けに再構成して紹介してみたいと思います。当日言葉足らずで十分お伝えできなかった論点もありますが、その後の懇親会で話した内容も組み込み、また後日再考してみて若干言葉を加えてありますので、当日参加された方はこの記述が当日の「そのままの記録」でないことはご了承ください。
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Q. いお倉が向き合った歴史学界をめぐる問題は深く共感するし、「笑い」の意義もよくわかった。これが実現したら、たしかにすごく明るい未来が待っているんだろうなと思う。しかし、この挑戦は実はすごく難しいことなんじゃないか?一つには、「笑い」はそれを共有できるグループの間では非常に良い効果を持ちうるが、「笑える」と言われて傷つく人もいるのではないか?という問題もあるだろう。また、本当に冗談抜きで「笑えないもの」(たとえばイデオロギー的なものとか)が来たらどうするのか?
A. まず、一つ目のご懸念に対して。
いお倉は、そもそも「笑い」という価値観を共有してくださった方からの投稿を受け付けています。したがって、自分の論文が笑われて嫌な方は、そもそも投稿してこないと思うのです。基本的に、いお倉に投稿される方は、「笑われる」覚悟をもってというか、むしろ積極的に「笑われる」ために投稿してくださっているものと見なします。逆に、いお倉から不採用になったとしても、それは「あなたの論文は笑われるようなものではなく、立派にまじめな論文なので、他所に投稿してしかるべきものです」ということになるわけですから、投稿者にとっては何の不名誉にもなりません。もちろん、ウケを狙って滑った時の居心地の悪さはあるでしょうが、そもそも「真面目な良い論文」と見なされること自体が相当の名誉なのですから、居心地の悪さは相殺されると考えることができます。
次に、二つ目のご懸念に対して。
実際、いお倉にはイデオロギー的な方面からの論文投稿はなかったのですが、ちょっとスピリチュアルな観点からの投稿とご質問がありました。お一人は、守護霊さんに守られていて、その背後には神様がついておられて、過去の情景を見ることができて、過去の人物と会話もできる方です。実際に信長と会って話したのだからそれこそが第一級の史料じゃないか、史料など不要じゃないか、と仰っていました。もうお一方は、「未来の歴史」が書けないかと仰っている方で、現役の大学教員(非歴史学系)の方です。実はこの方、後に『笑い』の書評も書いてくださることになり(近日発表します)、縁とは異なるものであると感じております。驚くことに、お二方ともが共通して「たつき諒」という人の名前を挙げておられました。私は全く存じ上げなかったのですが、お二方とも共通して、いかにも常識的なことのように自然にお名前を挙げられたので、その界隈ではそうとう有名な方なのだと思います。
前者の方とは本当に何度も長いやり取りをさせていただきました。どこまで伝わったかわかりませんが、室長はおおよそ次のようなことをお伝えしました。
「歴史学には、同時代史というジャンルがあります。自分が生きてきた、ちょっと昔の時代のことを研究する歴史学です。同時代史は、いや、同時代史に限らず現代史でもですが、オーラルヒストリーといって、現在ご存命である方から話を聴く手法があり、非常に重要な生の史料になります。貴方が信長と会話をした記録は、ある種のオーラルヒストリーですね。
ところで、人間は対面で会話をするとき、ちょっといいかっこをしてみたり、自分に不利なことを隠したりすることがありませんか?あるいは、ちょっとセンシティブすぎて人には言えないでいることなどもありませんか?我々はそういうことを、たぶん何度か経験したことがあると思うのですが、たぶんそれは誰でも思い当たるふしがあると思うんですよね。そして、人に言えなかったことを後でブログやnoteやSNSに書いたり、あるいは日記に書いておいたりすることもあると思うんですよね。
この場合、口に出して語られたことよりも、文字に書かれたものの方が真実に近いということになりませんか?
現代を生きる人間でさえそうなのです。ましてや、21世紀から来たとかいうよくわからない人に、信長のような猜疑心の強い男が本当のことを話すでしょうか?
歴史学というのは、「人は対面だと嘘をつく」という前提に立って、書かれたものを中心に過去を組み立てていこうとする学問分野なんです。だから、オーラルヒストリーでも、必ずその人の発言だけではなく、書かれたものも併せて検討していくということを欠かしません。だから、貴方が歴史学の論文を書こうとするらなば、信長から聴いた言葉だけではなく、信長が、あるいは同時代の第三者が書いたものも同時に可能な限り全てに目を通しておく必要があるのです。
もう一つ、歴史学は学問ですから、検証可能性ということが重要になります。我々が論文に膨大で面倒くさい註をつけるのは、この論文で言っていることは、この註の出典を辿れば基本的には誰でも検証することが可能ですよ、という構えを示すためです。それが、歴史学の論文を科学的たらしめている一つの条件なのです。科学は、検証し、間違いを正し、正され、それでも否定できない部分が残っていく、そうして前に進んでいくものなのです。
さて、貴方が信長と会話した記録は、能力者でない我々はどうやって確かめればよいのでしょうか?先に話したオーラルヒストリーなら、録音して、求めれば誰でもその音源を聴くことができますが、貴方の特殊能力で聴いた信長の声は残念ながら録音できませんよね。私はただの凡人ですので、その特殊能力を開眼させることはできません。きっと大多数の人はできないと思います。その意味で、とても残念なことなのですが、その会話は学問としての歴史学の史料にはなりえないんです。」
後者の方ともかなり長いやり取りをしました。おそらく現状、こうしたやり取りを通じて誠実に対応していくほかないのだと思います。しかし、それは誰にでもできることではないですし、実際いお倉もそれで壁にぶつかってしまったので、これはかなり難しい問題だと捉えています。現時点では、これに対する有効な答えを見いだせていません。今後の検討課題にさせてください。
イデオロギー的な方面からの投稿は今までのところないのですが、それはおそらくこの「笑い」というものとイデオロギー的に考える歴史が相容れないからではないかと思います。「笑い」をちゃんと正確に意識して文章を書くと、どこかの段階で必ず敵さんと仲良くなってしまうと思います。その現象が、往年の2ちゃんとか初期のTwitterとかでたびたび見られました。室長はそこに未来の希望を見たものです。でも、仲良くなってしまっては、意味ないですもんね(含蓄)。
Q. 既存の歴史学界のオルタナティブを作ろうという試みだが、学術誌で査読という方法をとることで、却っていお倉を新たな権威にしてしまうのでは?
A. その可能性は十分考えました。しかし、それでもやはり我々は「学術誌」という体裁をとることを諦められませんでした。その理由は二つあります。
一つは、これまでの歴史学界で見向きもされなかった「笑い」というものに新たに価値を与えたかったからです。価値を与えるには、「評価する」という過程がどうしても必要です。その意味では、イグ・ノーベル賞でもサンキュー・タツオ氏の本でも同様なのでは?
(ここでガヤ入る:「イグ・ノーベル賞もサンキュー・タツオ氏の本も、既にあるものの中から探し出して「評価」している。今から「評価しますよ」と言って投稿させるのとはわけが違うのでは?」)
そうなのですが、その理屈でいうと、前の質問にあった「「笑える」と言われて傷つく人もいるのではないか?」という問題に対しては、イグ・ノーベル賞やサンキュー・タツオ氏の本の方がはるかに暴力的ということになります。いきなり勝手に「貴方の研究は笑えます」と言われて、相手が「私はそんなつもりじゃなかったのに」と思うことだって理屈の上ではありえますよね。実際には今までそういうことを言った人はいませんけれども。いお倉はむしろその可能性を最初から排除している点では一番この懸念に誠実に向き合っているとさえ言えます。
価値であるとさえ思われていなかったものに、価値を与えるということは相当に難しいことです。そこにはやっぱり、何らかの権威が必要だと思います。いお倉は実際、必要以上に「権威」ぶっています。たとえば、このHistoria Iocularisという誌名。別にラテン語じゃなくても良かったですよね。もっと覚えやすい、「わられき」(ダッセェ…)とかでもよかったわけですよね。でもいお倉はラテン語にこだわった。「権威っぽい」からです。(https://www.h-iocularis.com/hello-world/)
日本史学の学界では、わりと「先生」ではなく「さん」付けで呼び合ったり、役職を「委員」としてフラットに位置付けたりすることが多いんですが、それは日本史学会がもともと「民主的」な組織を希求していたからでもあります(左翼っぽいと言われるゆえんでもあります)。しかし、いお倉はあえて発起人を「室長」「顧問」として無駄に「権威」ぶっています。
幻の(いやまだ可能性はある…!)第一号の表紙だって、明治時代にできた学会の学術誌よろしくたいへん古風で「権威っぽい」作りしてありますよね。投稿規定も、WEBサイトの建付けも、基本的に全て「権威っぽい」ですよね。
なんでェ…?
これ、全部いお倉が「権威をおもちゃにしてからかっている」からだって気づきました?今まで誰も気づいてくれないから自分から言っちゃいました。この発想が、いお倉で求める「笑い」なんですよ。そして、この発想にかなった論文を、いお倉は採用したいと思っていたんです。これらの一つ一つに気づいてくれるかどうかが、まずはいお倉に投稿するための第一関門なんです。
え、そういうの説明しないとわかんないじゃんって?
いや、説明とかするといお倉の趣旨が台無しになりませんか?
いお倉は、こういう「構え」も含めて総合芸術点も追求しています。ですから、「権威っぽさ」を貫徹して、それを全てにおいて一貫させることこそが大切だったんです。
(でも実はこことかいろんなとこで丁寧な説明はしているんで、既にかなり「ダサい」状況なのは否めないんですが、それでもまだ「わからない」という方が多いので頭を抱えています。「まず隗より始めよ」とか言われても、いやもう始めてるんですがとしか(https://www.h-iocularis.com/reference/)。これについては最後の質問と絡めて後述します)
もう一つの点ですが、いお倉の趣旨文(https://www.h-iocularis.com/historia-iocularis/)でも触れたのですが、もともといお倉が規模の小さめの(それゆえに研究環境が十分整っていない)大学に勤める研究者向けに起ち上げられたものであるということと関わっています。あまり研究環境の整っていない大学では、教育に関しても難しいことがたくさんあって(※)、論文を読ませる授業などはとてもできないという現状があります。それでも、室長は「論文」というものがどのようなものであるのか、学生には一生のうちに一度でもいいから触れて、知ってもらいたいとの思いをもって教育をしてきました。なぜなら、論文というものの難しさ、それを創ることの途方も無さを理解せずに簡単で楽しい物語だけを聴いて世の中に出てしまうと…あんなことやこんなことになってしまう(ここは各自ご想像ください)、そんなことに加担してしまうことはとてもできないと思ったからです。
(※)ちなみに、「教育の難しい」大学ってなんだよ、馬鹿にしてんのかよと思われる方も少なくないと思いますが、思いつく大学の紀要などでいいので、そこで公開されている論文で、教育学に関する論文をいくつか見てみて下さい。「ユニバーサルアクセス時代」「教育」「学習支援」などというキーワードでCinii検索しても引っ掛かると思います。各大学で試みられている学部教育の実態がどのようなものなのか、かなり解像度高くわかると思います。きれいごとではない厳しい実態がおそろしいほどのリアリティでもって報告されているかと思います。個人的には、室長はこうした論文が将来の歴史学において、平成・令和時代の大学に関する重要な史料になると思って注目しています。
誤解してほしくないのは、室長はこうした大学が不要だと言っているわけではありません。そうした大学で研究者が「学問」について教えていくためにどうすればよいかということを考えているのです。「学問」など教えなくてもよいというならそれはそれなんですが、実際現状では制度的にもそのようになっていませんよね。「学問」など教えなくてよいのだとすれば、なぜ大学教員には博士号が必要なのでしょうか?(必ずしもそうでない時代もありましたが、現在では取得が奨励されますし、取得していないと応募の段階ではじかれることが多いです)どうしてカリキュラム上、難しそうな専門的授業を教えなければならないことになっているのでしょうか?
室長は、ずっと思っていたことがあるんですよ。大学の授業なんて、学生にとっては苦痛でしかない、教員も専門的な力を活かせない、経営者側もほんとはもっと「売れる」教育コンテンツを提供したい。こんな、誰にも望まれてないサービスを提供する仕事って世の中にほかにあるだろうか、って。
それでも、存在している以上、本気でやるしかないんですよ。プロとして───────────
だから、そこでは一切手を抜きたくなかった。そして、「誰にも望まれてないサービス」を、「今は望まれてないかもしれないけど後から考えるとすごく役に立っていたサービス」にするために、いろいろと工夫したんですよ。
その過程で、テーマがツッコミどころ満載で、中身もどんどん興味を持って読み進められるような論文がないかと探したんですが、これがなかなかなかった。一通り2年分は探してみたんですが、今後ずっとは無理だな、いつか枯渇するなと思ったんですよ。その結果、こういうものを意識的に生産できないか?と思いついたのがいお倉の種なんです。
だから、できることなら毎年刊行できるようなものが作りたかった。そのためには雑誌にするのが最適だと思ったんです。
そしてそれは、『笑い』の最後にも書きましたが、アカデミアで価値を持つものにしなければならなかった。だから査読フリー雑誌ではだめだったんです。査読フリーだと、「あ、なんか若えもんが精力的にやってるね。よきよき」と思ってもらえるだけで、アカデミア、真剣に脅威とはみなしてくれません。真剣に脅威と見なされて初めて世界の中に存在できるんですよ。そう考えると、いお倉にとって絶対に査読という過程は必要でした。
Q.最後まで読むと趣旨はよく理解できたんですが、表面的な部分で、アマチュアの方は「あ、これは僕は排除されてるんだ」と感じてしまうのではないか。「大衆」という言い方にも、よく読めばわかるんだが、パッと見て不快感を抱く人もいたのではないか。
A.このようなご意見もたくさんいただきました。何度かいろんなところで説明もしましたし、本の中にもわかるように書いてはあるのですが、著者のアカデミア(アカデミズム)/アマチュア理解はけっこう単純明快で、「アカデミア(アカデミズム)」とは大学や研究機関に所属し、研究が業務の一環として認められている職業の研究者、「アマチュア」とはそれ以外の職業の人たちと理解しています。そして、「アマチュア」の中にも、大学や大学院で歴史学の基本を学び、学界の事情を見聞した経験のある人はかなり「アカデミア」側の方々だという認識で書いています。というか、たぶんこれは多くの研究者に共有される認識ではないでしょうか。
したがって、この本で「アマチュア」として書いた部分は、「アカデミア」外の人びとの全てに一様に当てはまるというわけではありません。先述したような、大学や大学院で研究した経験のある方には全く理解できない「アマチュア」もいるでしょうし、「アマチュア」と名乗るほどではない私は歴史ファンだ、と思っておられる方にも全く理解できない「アマチュア」がいるでしょう。大学や研究機関外にいるかどうかという基準だけでとりあえず議論の出発点に一括した概念ですが、実はその内部はアカデミア以上に多様なのだと思います。
ちなみに「大衆」というのは、基本的に王侯貴族でない人全て、という意味で用いており、差別的な意味合いのないフラットな用語だと個人的には認識していたのですが、「大衆」に不快な印象を受ける人もいるのだと知りました。どういえばよかったのか、正解がわかりません。「庶民」だともっとよくないですよね。「民衆」もちょっといやですよね。「人びと」うーん…漠然としすぎていませんか?言いたかったのは、「王侯貴族でない、大勢の人びと」が新たな時代の覇者になったよ、ということだったのですが、ここは認識の違いだと思います。
さて、著者は「アマチュア」を排除する意図があったわけでは全くないのですが、力及ばず、その意図が十分伝わりませんでした。著者は、アカデミア/アマチュアの区別を絶対視して、ここから先は入ってきちゃだめよ、と言っているわけではないんです。ただ、それぞれの世界にはそれぞれの山があっていいし、それを尊重してお互い平和に棲み分けしていきたい、と考えているだけなんです。
アカデミアの世界にもひじょうに多くの問題があります。査読システムの問題、キャリア形成の問題、学会運営の問題、本当にいろんなことがあちこちで硬直状態に陥っています。しかし、アカデミアをぶっつぶしたとしても、結局はまたアマチュアの世界の中から高みを目指す戦いが始まって、新たな「アカデミア」的なものが生まれるだけだと思います。M-1をつぶしたとしても、また第二、第三のM-1が生まれるだけだって、思いませんか?
だから、室長はアカデミアの問題はアカデミア内部で変えていくしかないんだと思ってます。室長があくまでアカデミアの中から問題提起をすることにこだわったのはこういう理由からです。髙比良くるまが吉本という本流・王道からM-1を「終わらせ」に来たように。
そして、アマチュアの世界にもアマチュアの世界なりの不文律があるのでしょう。私はそれを尊重しますし、ましてやつぶすべきなんて全く思っていません。ただ、アカデミアの方の門戸を叩いたら、それはこちらもプロですので、アカデミアの基準で向き合いますよ、ということです。お互い誇りをもってやっているのだから、当然のことだと思います。むしろアマチュアだからという理由でアカデミアの人間と対応を変えるなんて却って失礼だとすら思えます。
なぜかアマチュアの中の一部の方は、アカデミアのものさしで評価されることを望んでいるように見えます。どうして、むかつくアカデミアなんかのものさしで評価されなければいけないのでしょうか?室長は、別にアカデミアのものさしで評価されなくたっていいんじゃないかと思っているのですが、それを言うと強く反発されてしまいます。それはやっぱり、どれだけむかついていてもアカデミアというものを「権威」として認めてしまっているからだと思うのです。
…もう、そんなのどうだってよくないですか?
この本がアマチュアや歴史ファンに向けたメッセージはほんとにシンプルで、「アカデミアの方ばかり見ないでください」ということなんです。そちらは既にそうとうに長い年月をかけて多くの蓄積があり、それはそれとして十分堂々としていてよいものだと思います。
著者の書きぶりがアマチュアを馬鹿にしてるって?
著者、むしろアカデミア側の学者も笑ってるんだが…?
著者は、ちょっとバーサーカーなんです。とにかくどんな立場であろうと、「人が必死になっている状況」を見るとなんだか面白くなってしまうんです。というか、この本のもっと重要なメッセージはそこです。
みんな、そんな必死になるなよ…
必死になると、結構辛いです。これは、水道ひねったらきれいな水が出る人(比喩)にはわからないかもしれません。室長は、生まれつきみんなと同じでないことがたくさんありました。そりゃあ辛いもんでしたよ全部は言いませんが。それを呪っても、どうあがいても、自分の力では変えられないことがあるのだと悟ったのが25歳くらいでした。遅いね…
そんな状況だからこそ、ユーモアが必要だと室長は信じているんです。そして室長はかなりそれに救われた当事者です。
でも、いお倉をきっかけにいろんな人とやり取りをしていると、こういう考えはかなーーーーーり珍しいということも知りました。苦しいときに笑いなんて必要ない、なぜ笑いでどうにかしようとするのか、真正面から真面目に問題提起すべきじゃないか、必死な人を笑うなんてけしからん、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない……!!!!!!!
お前の言っていることはわからない!!!
そうかぁ…とね、改めて思ったんですわ。
この反応こそが室長が歴史学界で生きづらさを感じた大きな理由であり、歴史学会に「笑い」を導入してみたくなった最大の背景だったのです。
「真面目に考えさせられる論文」?そんなのもう山ほどあるじゃん。新しく作る意味なくない?
「笑い」が不謹慎?でも実際苦しんでアレしようと思った室長を5回くらい救ったよ?のべ5人の命を救ったことにならない?逆に「真面目で考えさせられる論文」が書けなくて苦しんでアレする人いるよ?そっちの方が害じゃない?
室長は、「笑い」に救われました。だから、「笑い」の力を信じています。ひじょうにシンプルな話です。
「真面目で考えさせられる論文」は、もうあります。というか、今の歴史学界の論文は全てこれです。歴史学は、普通にやれば「真面目で考えさせられる論文」を作ってしまうという力学があるのでしょう。だからそれ自体はそれでいいんです。室長は別にそれをどうこうしようとか言ってません。ただ、今までなきものとして無視されてきた室長のような人たちが「いる」ってことを、知ってほしいだけなんだ。
世の中には、どう頑張ったって「笑い」を求めてしまう人が一定数いるんですよ。室長は実際そうだったし、真面目な歴史学界の雰囲気になじめなくて、学部で、あるいは大学院で辞めていく人は今までだってたくさんいたんですよ。今残ってる人の中にそういう人がいないから、そういう人は「いない」と思われているんですよ。
でも、貴方が立っているその地面の下に、たくさんの辞めていった人たちの血と涙があるんですよ。辞めていった人たちの方がむしろ多いんですよ。そう考えると、怖くなりません?
室長は、たまたまこういう職業に就くことができたからには、辞めていった私の同類項たちの存在を知らしめなければならないと使命感に駆られているんです。だって室長も、すごくギリギリのところで拾われただけで、かなりの確率でそっち側だったかもしれないんだから。
ここだけは絶対に絶対に妥協ができません。どんなに「わからない」と言われ続けても、絶対に。
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というようなことを、討論の中で、懇親会の中で、あれこれ話しました。M-1グランプリの話とかもできましたし、実際漫才経験者の方ともお話できて、たいへん有意義な機会になりました。深く読み込んでくださった皆様、そしてより本質的で突っ込んだ議論にしてくださった皆様、本当にありがとうございました。
当日、金澤先生からは歴史学の査読にまつわる問題の認識も共有してくださったのですが、これはまたいつか何らかの形でお話できればと思います。
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