本誌のアイデアの種は、「Historia Iocularis 創刊の趣旨」にて示した通り、室長の池田が前任校のゼミにて担当した論文読解の授業の中で徐々に芽生えていったものですが、これが本格的に始動するきっかけとなったのは2023(令和5)年4月1日の現所属大学への移籍でした。
あまりに突飛で、今までこの世に存在しなかったものを生み出そうとしているわけで、ややもすると冗談ともふざけているともとられかねないような計画でしたので、これを相談するにはしかるべき人に、しかるべきタイミングで、と温め続け、ちょうど移籍の挨拶をメール・お葉書でお送りするタイミングで、神奈川大学の平山昇氏にそれとなくこの話を持ちかけました。平山氏は池田が京都大学人文科学研究所に所属していた時代に、高木博志氏主宰の共同研究班「近代天皇制と社会」および「近代京都と文化」にてご一緒した経験があり、その研究発表の落語的面白さに毎回涙が出るほど笑わせられていたことや、お書きになるものもユーモアセンスに溢れ、学術誌の書評でさえツッコミなしには読めないこと、そして九州産業大学および現在の神奈川大学でのたいへん魅力的な授業実践について何度もお話をうかがっていたことなどから、この計画を明かすにはこの人をおいてほかにない!と当初より勝手に決め打ちしていたのでした。
しかし相手は売れっ子の平山氏。最初からあまりに具体的な計画をお伝えするのもどうかと思い、「共同研究のお誘いで…」とお伝えしたところ、ご多忙を理由にやんわりと断られかけてしまいました。「これではいけない…!」と思い、恥をしのんで閉じかけた扉に頭頂部を捻じ込み、「Historia Iocularis 創刊の趣旨」に書いたようなpassionを前後不覚の体でぶつけたところ、足を止め、振り返り、
「なにそれ、エモい…!」
と共感していただき、あまつさえその広い人脈の中からこの計画に賛同してくれそうな研究者の方々を紹介してくださいました。
こうして集まったのが、「Office Iocularisの仲間たち」です。皆さん平山氏同様に売れっ子でご多忙の中、この計画を面白がってくださった貴重な方々です。
そして大型連休中の5月5日子どもの日、少年の澄んだ心を称える吉日に第一回の「新雑誌創刊準備室 会議」をZoomにて開催しました。
ここでは、それまでの室長の調査結果の報告を踏まえ、雑誌の形態をどうするか(紙媒体にするかオンラインジャーナルにするかを含め)、元手をどうするか、スケジュール感をどうするか、本誌のコンセプトをより明確にするにはどうればよいか、などが議論されました。「一瞬笑えて、後からジワジワ考えさせられる」という本誌のコンセプトと、オンラインジャーナルでいくという方向は、この会議で明確に定まりました(というよりは、今から振り返れば、この方向でいくと室長池田の覚悟が固まったのがこの時だったように思われます)。
さて、肝心の誌名については雑誌の看板となる非常に重要な要素ですので、この一回の会議ではとうてい決められるものではないと判断し、継続審議としていったん会議は終了したのですが、会議終了後のメールのやり取りの中で室長池田の発したたわいない一言が、本誌の刊行(と室長の本業である研究)をこれほど遅延させることになろうとは、この時は誰も思わなかったのです。
室長「誌名ですが、ラテン語とかいいんじゃないかと思ってるんですよね~(安易)」
大江顧問「ラテン語、旧制高校生みたいという理由で私も憧れてます!!」
…いや、当初は?ホラ、くだらないことを真剣に超絶技巧でやってのける研究者に価値を与える場として?この雑誌刊行を企画したという趣旨からいって?ホラ、ラテン語誌名とかで入口の格調を無駄に高めておくってかなり「面白い」じゃないですか?みたいなノリだったのですが…
そう!!!何を隠そう、室長池田は古典文学や西洋古典語文法を1ミリも修得せずにこの発言をしていたのです(少なくとも大江顧問は池田よりははるかにラテン語に通じていたと思います)。こんなこと、とてもまともな神経の研究者のやることではないです。
とはいえ、放言してしまった責任は取らなければならないので、一念発起、「一瞬笑えて、後からジワジワ考えさせられる」という本誌の趣旨を的確に表現し、かつ文法的にも問題なく、語感もよい単語を探すべく、私費でラテン語の文法書を購入しました。
今だから言えるのですが、いやぁ…
元号決めるのって大変だったんですね
という感想しか湧いてこないほどに、5月の池田は憔悴していました。
周りを見渡してみると、若い研究者が有志で雑誌を創刊するという例はこれまでにもいくつもあったわけですが、たいてい発起から非常に短い期間で公表に至り、その後すぐに投稿論文の募集へと進んでいるようで、そのスケジュール感に比してウチの進度を顧みるとあまりにもナメクジで、どうしてこんなにウチは遅いんだ…何が違うというんだ…とのたうち回っていました。
いや、わかってはいたんです。わかってはいたんですが、「この雑誌、このコンセプトでラテン語って…(笑)」という読者の反応が見たかったんだ…!
出オチに全てをかけるのが私のやり方なんだ!!!!!
と、ここだけは絶対に妥協できない線としてこだわり続けたために発起から2か月以上が経過し、他の研究者の実践例を目の当たりにして焦りと不安に押しつぶされそうになっていました。
たいていの雑誌は誌名をもとにメールアドレスやサーバー名を決め、そこからあらゆることが始動していくものなのに、そもそもウチは誌名すら決まらないから何もかも始まらなかったのです。
今から思い起こしてもあの時期は一番苦しかったです。
それでも、ナメクジでもいいから少しずつ前に進もうと、ともかくも候補となりうるラテン語をいくつか挙げてみて、ネイティブチェック(ラテン語にネイティブなる概念があるのかどうかわかりませんが)に使えるツールをいくつか当ってみました。
この時池田が活用したのは、
池田の知人には西洋古典語を専門として扱う研究者がおらず、
「日常的にラテン語を使って研究する人…そうだ!生物学者だ!!!なかんづく分類学者だ!!!」
というこれまた安易な考えにたどりつき、そこらへんを探索した結果辿り着いたサービスでした。このサービスにはオンライン羅和辞書がついていることも非常に便利なところでした。NHKの「子ども科学電話相談」のヘビーリスナーである大きなお友達には狂喜の「まう山先生」(参考:「まうまうダンゴムシとまうまわないダンゴムシ」)こと九州大学総合博物館の丸山宗利氏が監修に携わっておられるということも大事なポイントでした。
これらのツールを活用しつつ、しかるべき先生にご指導を仰ぎ、
Historia Iocularis
との誌名が誕生しました。こうしてようやく本格的な雑誌作りを始動できるようになったというわけです。
文責:池田さなえ ツッコミ:やじ
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